梁山泊倶楽部

山岳会の会長やってます♪

「つくば道から筑波山ハイキング」 前編<つくば道を歩く>     (2017.5.22)梁山泊倶楽部

 日本百名山で標高が一番低い「筑波山」を麓の古道から楽しむハイキング。2017年5月22日、銘打って『つくば道から筑波山ハイキング』を楽しんだ。

 梁山泊倶楽部の爺が昔勤務していた会社のOB会ハイキング部会が主催した茨城県の歴史めぐりハイキングは、最終的に10人の参加であった。日本百名山といえば、標高3,000m級の山々が名を連ねているが、茨城県唯一の「筑波山」(標高877m)は、全国県の“人気度最下位”に肩を並べるものである。しかし、霊峰「富士」と並び称される東国の名山「筑波」こそ、『万葉集』に筑波山を詠んだ長歌・短歌が25首もあるのだ。現在(いま)で言えば、NHK朝ドラ「ひよっこ」効果による人気度右肩上がりの急上昇のようなものだ。普段、私たち“茨城人”でも、そうそう歩かない「つくば道」にチャレンジした。その模様を写真を中心に、爺のコメントを付してお届けする。

第一ステージ JR土浦駅から平沢官衙(かんが)遺跡公園
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電車、バス利用参加者5人(爺の降り立った土浦駅)
 爺たちはJR常磐線利用で土浦まで来たが、東京など首都圏より来る場合は私鉄の「つくばエクスプレス」利用が多いと思う。この場合には終点「つくば駅」まで電車、そして、関鉄バス「つくばセンター」乗車「筑波山口」行が頻繁に運行されている。古道を歩く出発点をどこにするかで、さらに乗換便(バス)が変わってくる。つくば市が委託運行する「つくバス」を利用すると、「平沢官衙(かんが)」、「北条(市街の各バス停あり)」、「神郡(かんごおり)」を出発点にする場合は、一工夫必要かもしれない。「北条の町」から「神郡(かんごおり)」までは距離があるので、「神郡(かんごおり)」から歩きはじめ、筑波神社までを楽しみ、徒歩で山頂を目指すか、ケーブルカーやロープウェイを利用してもよいだろう。この後皆さまへ白状するが、爺たちは2つのグループに分け、「徒歩ハイキング組」と「ロープウェイ&ケーブル利用組」として山頂を目指した。
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関鉄バス「土浦駅(西口)5番乗場」筑波山口行、または下妻駅行に乗車
 始発の土浦駅から乗車したハイキング参加者は3人、途中から2人が次々と乗り込んできた。平日朝の通勤通学時間とあって、写真のような大型バスではなく、小さなバスであったことから、始発からすし詰め乗車であった。早々からバス乗り場の待合椅子に座っていた我々は、大きなザックを抱えながらも、かろうじて椅子に掛けることができた。
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「平沢官衙(かんが)入口」にて降車
 たしか820円だったと思う。路線バスの運賃の高さに、改めてびっくりした次第である。
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北条大池畔の道を歩いて「平沢官衙(かんが)」遺跡へ向かう
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池畔の道わきに設置された「関東ふれあいの道」説明板

第二ステージ 平沢官衙(かんが)遺跡公園にて歴史を学ぶ
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歴史散歩の第一歩『平沢官衙遺跡』
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奈良時代の朝廷の出先機関として各地に置かれた官衙(かんが)を観賞
 北条大池(人工の溜池)の近くに復元された「平沢官衙遺跡公園」。筑波山を背景にした広場に板倉、土倉、校倉の3棟の高床式倉庫が復元されている。現在に生きる我々にとって、それはそれは大きな木造建築物である。もっとも、これくらい大きな入れ物(倉庫)でなければ近郷近在から徴収した米、麦、稗、粟などの雑穀を収納することはできないだろう。あるいは、もっともっとたくさんの収納倉が存在していたのかもしれない。
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これは土倉だろうか、白いのは土壁だろう
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高床の床下の支え柱越しに見学中の仲間を撮影
 べつに誇張して撮影してはいない。とにかく倉が大きく、床下の柱も、もの凄く太く大きな材料である。
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広場の芝の間から顔を出した素敵な花

第三ステージ 筑波山への道起点「北条の町界隈」そぞろ歩き
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第三ステージ「北条の町界隈」そぞろ歩き
 平沢官衙の見学を終え、次のステージは「北条の町界隈」である。古い町並みが続き、「つくば道」の歴史散策の起点ともいえる場所である。北条地区は数年前の「竜巻災害」により、多くの家屋に被害が及び、近年復旧の道筋が少し見えてきたばかりである。残念ながら、旧家が再建できずに失われてしまったものも多いと聞く。その、北条の町の一端を垣間見るべく、歩いてみた。
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街中の市営駐車場の案内表示板
 当初の予定では、平沢山麓駐車場に車を置いてくるはずであった。(マイカー参加者)予定を変更して、神郡の市営駐車場に停めることにした。平沢官衙にて歴史散歩したあとは、北条の町まで車両を使用した。
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北条の歴史ある町並みを見ながら歩く
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.竜巻災害から再建した美しい民家
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町をそぞろ歩く仲間のどこを切り取っても絵になる
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いたるところに白漆喰の蔵屋敷が残る北条の町
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立派な門構えの家も復旧瓦の跡が見える
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ただ歩くだけで昔日に帰ることができる町「北条」
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「北条ふれあい館」となっていたのは・・・・・・・・・DSC_0426トリ
「田村呉服店」こそ現在の“北条ふれあい館”であった
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これが『これより“つくば山”』の碑(いしぶみ)
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あまりにも有名な碑
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「つくば道」解説板
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石碑のある角のお店にある案内表示

第四ステージ 神郡(かんごおり)から筑波神社へ
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神郡(かんごおり)市営駐車場から本格的に歩く
 当初案では平沢山麓駐車場へ車を置いて歩くはずであった。平沢官衙(かんが)遺跡にて歴史を学びながら、文殊の知恵を出し合ったところ、「神郡(かんごおり)市営駐車場まで車を利用しよう」という結論を導きだした。結果として、これが正解であったように思う。この日(5月22日)、快晴の猛暑が予想され、歴史の道とはいえ、延々数キロメートルのアスファルト舗装路を重いザックを背負っての旅は、我らOBたちにとって“苦難の道”になりかねなかった。
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準備が出来たら自己紹介して出発だ!
 今回、「筑波山ハイキング」の主催は爺が部会長を任されているOB会である。加えて、同じ会社のOB(会員以外)、現役の一部、そして爺が会長である梁山泊倶楽部の面々へ呼びかけして開いたものである。急な呼びかけであったことから、60~70人への郵送・メールなどのご案内にも反応は薄く、急きょ欠席者などもあって、最終10人で歴史道を辿ることとなった。先頭から最後尾を歩く参加者まで、目が届くには丁度よい人数ではあるが・・・・・、少し負け惜しみもあるが、適当な人員、レベル構成であった。
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駐車場の案内板
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随所に「案内標柱」が設置されている
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眼前の筑波山を目指して猛暑の歴史道を歩む
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立派な家が立ち並ぶ道
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仕事をリタイアした方々には見えない歩きっぷりだ!
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道端や屋敷の庭には今を盛りに花々が競って咲いている
 昔々、爺が「弓道」を習っていたころ、同じ弓道場に神郡(かんごおり)在住の友人がいた。知り合いが土浦市内でピアノバーをオープンするというので、当時、薔薇(ばら)栽培農家であった友人に頼んで、バラの花300本を開店祝に届けてもらった記憶がある。神郡の友人は、現在(いま)どうしているだろうか。道場で弓を習い、練習後に居酒屋で語らった弓仲間たちは、どうしているだろうか。爺は、弓道弐段で練習を辞めてしまったが、皆さん、よく指導してくれたものだ。この場を借りて「ありがとうございました」とお礼を言いたい。
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筑波山神社まで1,700米
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平屋の大きなお宅
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このお宅は「観光協力の家」だった!
 たいへん有難いことです。長い距離を歩く我らにとって、男子ならともかく、女子の場合には、その辺で用を足してしまうこともできまい。男子であっても、昔からの集落を有する道端でするわけにもいかないと思う。鮏川(すけがわ)家のみなさん、ありがとうございます。観光客代表で御礼申し上げます。
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買い物はしなかったがお店があった
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民家の後方には懐かしい「火の見櫓」が現存する
 この筑波山の麓は傾斜地で防火貯水槽がいくつか設置されていた。ひとたび火が出たら、水利が悪い分、消火するのは困難であろう。火を出さない、初期消火に努めることが大原則になろう。
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延々と続く「つくば道」の坂を喘ぎながら歩く
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六丁目鳥居
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「是よ里山上」の石柱
 六丁目鳥居下にある「是よ里山上」の文字は、この“つくば道”を辿るに相応しい贈り物である。なぜかほっとするのだ。
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六丁目鳥居の木陰にて休憩
 とにかく暑く水分補給を欠かせない。飴玉などを口に放り込む。エネルギーがどんどん消耗してゆく感じだ。
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これからも急坂が続く
 少し前までは、この場所は石段であった。現在では、コンクリート舗装されて車両が頻繁に往来する始末だ。もっとも、ここに居住する人たちは、車両が通れる道にならなければ生活は大幅に困難になるであろう。大分、昔の面影が薄くなってはいるが、それでも「つくば道」に変わりはない。
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立派なお宅が目の保養
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みんな元気だナー!
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筑波山郵便局
 昭和13年から昭和50年まで使われた“山の郵便局”。僅かな距離だが、ここから石の階段が残り、往時をしのばせる。かつては、ず~と下まで石段が続いていた。
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筑波山郵便局(局舎玄関UP)
 この山中に生活する人たち、そして、筑波神社参詣人(びと)、神社のご神体である筑波の峰を極めた人たちなどが、当時の宿に泊まり、浴衣姿で郷里や友人宛に書いた葉書や郵便を持ち込んだ郵便局である。
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玄関内に置かれた昔の丸い郵便ポスト
 おそらく、ある時期までは局舎の外(玄関脇にでも)おかれていたのであろう。しかし、現存するものと同じポストだから、使用していなくても投函されてしまい、中に収納してしまったのであろう。
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玄関のガラスドア越しに内部を撮影
 このハイキングに同行した先輩談として、昔は、内部に入れてもらえて見ることができたそうだ。爺も似たような仕事であったから思うのだけれど、おそらく、当時は宿直制度があって、男子局員が、筑波の地酒など飲みながら灯りのあまりない山の中で一夜を過ごし、翌日の勤務に就いたことだろう。
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局内に置かれた赤い自転車
 確かに絵になる点景である。その昔の自転車ではなく、少しモダンな形式であることから、観賞用に配置したものであろう。それでも、この赤がいいナ~!
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外壁の腰板が古くていいナ~!
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当時としてはモダンな窓
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つくば道を上の道路まで登ると「郵便局の看板」がある
 実はこの「郵便局」の看板は、営業する店舗のものではないのだ。先ほどから紹介してきた山の郵便局『筑波山郵便局』保存用の看板であった。なかなか日本郵便(民間)も粋なことをするもんだネ~!
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筑波山郵便局玄関前より撮影した「つくば道」終点付近
 このような石段が、昔はず~と下まであったそうだ。
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筑波山郵便局前から一旦道路を横切り神社前までの短石段を登る
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筑波山神社前の土産物店やホテルが並ぶ通り
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筑波山神社の石段を上がって本殿へ

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